心筋症と闘う広島男子と英国女子の記録

2015年4月に国の指定難病である「特発性拡張型心筋症」を発症。 大阪大学病院にて補助人工心臓(Heart MateⅡ)装着手術を受け、心臓移植待機者となる。 その間、発症からの心境を記したこのブログを開設する。 2016年には高校教師として社会復帰を果たし、現在は移植医療の啓発と闘病中に見つけた『人生で本当に大切なもの』を伝えるために広島を中心に介助者でもある英国女子のパートナーと共に活動中。

火の鳥 後編 (人工心臓装着手術記)

 前編に続き、今回は後編と今の自分の思いを綴っていきます。

火の鳥 前編(人工心臓装着手術記) - 心臓病と闘う広島男子と英国女子の生活

 

 約8時間に及んだ手術の後、人工呼吸器をつけてICU(集中治療室)へ移りました。

 

 母に何か伝えたくて紙に何か書いた夢を見たような、周りの声がうっすらと聞こえたような気がして、ある日、ふっと目が覚めました。体中に無数のチューブと点滴が繋がれていること、口には酸素マスク、鼻から喉にかけて痛み(流動食と飲み薬を直接胃までつなぐチューブ)があることだけは分かりました。目が覚めたのは26日の水曜日。5日間寝ていました。

 

 この日から約3日間は、今まで感じたことのない苦しさでした。まず、麻酔が抜けきってないのか、意識は朦朧とし、頭の中は絵の具がぐしゃぐしゃになったようにグルグル回転していました。何よりも機械がまだ体に順応しておらず、(今までは弱い力でも自力で血を送っていたのに、急に機械で無理やり全身に血が回るようになった)異常な倦怠感、吐き気、腹痛、傷の痛み。その苦しさは病気を発症してから感じたなかでも比べ物にならないものでした。「手術後がこんなにキツいとは....」時すでに遅しでした。

 

 しかし、それ以上に辛かったのは、その日の女性看護師の冷たすぎる態度でした。あまりのしんどさをどうにか言葉にして伝えても、「もう、なに?後にして」「暴れるな」と言われたり、「苦しすぎて眠れないので睡眠薬を入れてくれ」と頼むと、「眠くないなら、寝なくていい。肺がつぶれて呼吸ができなくなるから」とか、痰は自分で出せないなか、無理やり喉の奥まで痰を吸うチューブを突っ込まれたりと散々でした。


 それでもその時の自分は何もできず、むしろそれからは、何かあってもじっと痛みや苦しみを看護師に何も言わず耐えるようになりました。たしかにこの辛さは看護師や医者に言っても、どうこうできるものではないのは分かっていたし、多分、無意識の中でうめき声や叫び声をあげたり、何度も看護師を呼んだのかもしれません。それでもその時の看護師の態度は自分にとってものすごくショックでした。「ICUの看護師は今までの看護師とは違うんだ。これぐらいでビービー言ってる自分が迷惑をかけているんだ」と思うようになりました。変な話ですが、人は極限状態になるとそういう思考になるのでしょうか。怒りの感情などは全くなく、あったのは看護師に対する恐怖感と不信感と罪悪感。ただただ苦しみに耐え時計をじーと見ながら、時間が経つのを待つだけでした。いまさらこの人の事をどうこう言うつもりもありませんが、(相方は後日この話を聞いた時、ICUに殴り込みに行きそうになりました...)あの時のイライラした表情で面倒くさそうに対応してきた看護師の表情は今でも頭に焼きついて離れません。

 

 「この手術を受けた人はみんなこんなにしんどい思いをしてるんだろうか?」「本当に日にちが経てば良くなるのか」「このまま死んでしまうのでは」「いや、でも頑張らないと」と何度も何度もぐるぐる考え、弱気になったり、むしろひと思いに楽になりたいとさえ思いました。

 

 そんななか、ある声を聞いてふっと我にかえりました。それは、同じICUにいた赤ちゃんの泣き声でした。もちろん顔も名前もわかりません。でも、その声を聞いた瞬間、「自分がどんな状況かも分からない赤ちゃんが一生懸命病気と戦っているのに、26歳の男が弱気になってどうするんだ」とその時感じました。私の知り合いのお子さんに病気と闘っている幼い子がいます。その子のことも思い出し、泣き声が聞こえる度に、自分を鼓舞し、拳を握りしめ、苦しみと痛みに耐えながら、赤ちゃんを応援しました。あの声がその時の自分を救ってくれました。

 2日目の朝からも体調は最悪でした。時計はじっと見ていても、少しずつしか進まないし、自分では身動きも取れず、もちろん食事はおろか水分すら摂取禁止、絶え間なく続く吐き気と極限の渇きの中で、ベッドの上で1人じーと耐えました。

 

 午後3時。1日に1時間の家族面会の時間がきました。そして、久しぶりに母の顔を見た瞬間、私の目から急にどばーっと涙が溢れ出しました。この人は心から本当に自分のことを思ってくれているんだと表情で分かった瞬間、これまで自分が1人で背負いこんできたものが弾けました。声もまともに出ず、顔をくしゃくしゃにしながら涙を流し、「今回はほんまにほんまにキツかったわ」と弱音を吐くことができました。
 母とは4月から色んな苦しみも全て一緒に乗り越えてきたので、自分の言葉で全てを理解してくれたのでしょう。「ほんとよう頑張った、よう帰ってきてくれた。あんたはみんなのヒーローじゃ。」と私の手を握り母も大粒の涙を流していました。「あ、自分は誰かに必要とされているんだ、愛されているんだ、1人じゃないんだ、これが家族なんだ」と心からその時に感じることができました。

母と1時間手を握り、泣き合ったのは多分あの日が最初で最後でしょう。笑  

 

 3日目になると、不調の波は少しずつ小さくなりました。少しずつ話もできるようになり、自分の状況も分かるようになりました。この日の看護師さんとは野球の話で少し盛り上がったりしましたが、自分の中でまだICUの看護師が信用できず、例の看護師の話や自分の思いはその時、母も含め誰にも打ち明けていませんでした。
 でも、この看護師さんは積極的に話しかけてくれ、何かお願いすると優しく快く対応してくれました。そして、下の世話が必要になった時は、嫌な顔一つせずに、「ちょっときれいにするよ〜、ごめんね〜」と言って一生懸命に対応してくれました。シーツも変えなくてはいけなくなった時は、若い男性の看護師さんと2人がかりで大きな私の体を動かしながら、笑顔で優しい言葉を何度もかけてくれました。
 その時、自分の今まで抑えていた感情が爆発し、例の看護師の話、自分が迷惑な存在じゃないかと思っていたこと、そして優しくしてもらって本当に心から嬉しいと、涙をこぼしながら2人の看護師に話しました。その日に会った人達の前で泣いたのは、人生初めてのことで自分でも驚きでした。でも、その時はそれほど精神的にも肉体的にも追い込まれていたんだと思います。手術を担当してもらった医師には「頼むけ、元気になって歩いてや!」と声をかけてもらったり、手術まで診てもらっていた内科の先生は毎日のようにICUに来て、「しんどいのは今だけやから、あとちょっと頑張って」と励ましてもらったり、看護師さん達には本当に優しく一生懸命に対応してもらっています。いやな経験もありましたが、それ以上に彼らには感謝と尊敬の思いでいっぱいです。医療関係に勤めておられる方々、本当に素晴らしい職業だと思います。

 

 それから先は少しずつ安定し始め、29日にはICUから心臓血管外科の集中治療室へ移動し、リハビリもできるようになりました。初めてベッド横に座った時は頭が重くてそのまま前に倒れそうになったり、初めて立って歩いた時には10mほどが途方もなく長い道に感じたりしました。
 そして、8月30日には久しぶりに相方と再会することができました。See you soon! と手術前に約束し、苦しかった時は「これを乗り越えれば、また相方と一緒にいれる。そのために手術を受けたんだ」と何度も自分に言い聞かせていました。やつの顔を見た瞬間にまた涙がこぼれてしまったことは言うまでもありません。(多分、この1週間で10年分くらいの涙を流しました。笑)

 

 そんなある日、看護師さんと話をしていた時に、看護師さんが急に「それにしても手術大変だったなぁ、2回も手術したもんなぁ」と言いだしました。あまりに唐突なことで「えっ!?どういうことですか!?」と聞き返すと、「あれ、聞いてなかった?21日の手術のあと、血が止まらんから、22日の朝からもう1度胸を開いて手術したんよ、体の負担も普通の倍はあったと思うで〜」と言われました。全くの初耳でした。そしてあの地獄の3日間のしんどさはそういう事だったのか....と。「たしかにしんどかったですね。でも、もういいんです、思い出したくもありません」と答えました。笑

 のちに、母に聞くともちろん母もその事(22日の朝、病院へ呼び出されたらしい)は知っていましたが、状態が落ち着くまで言わずにいたそうです。たしかに苦しかった時にそれを知らされていたら、精神的ダメージは大きかったと思います。

 

 ちなみに、夢だったと思っていた、母に何かを伝えたくて紙に何か書いたのは本当にあったことだったそうです。目が覚めたのは26日だと思っていたのが、実は25日に少し目を覚ましたそうです。その時、偶然居合わせた母に聞きたかったことは「手術成功した?」だったそう。手術という言葉はかけたのに、成功という漢字が思い出せず、うーーん、うーんと唸ったあげく、書いた言葉がなんと「手術succeed? 」

 ルー・大柴か!とツッコミたくなりますが、相方のせい(おかげ?)で無意識でも英語を使っていたことに驚きました。

そして、もう1つは「メガネは?」だったそう。まさかです。笑

 

 これから人工心臓をつけたまま心臓移植を待つ長い長い戦いが始まります。

日本の心臓移植システムの一番の問題点は、臓器提供者の少なさによる移植待機期間の異常な長さ(海外では長くても1年以内、早くて数ヶ月)です。去年までは約3年と言われていたのが、移植希望者が増えてきて、これからは約5年と考えた方がいいだろうと言われています。

 

 人工心臓を入れると体の状態も一気に向上し、飲み薬の量も一気に減り、さらに神の薬と紹介した心臓を守るアーチストなどの薬を今では多く飲めるようになりました。

 

 しかし、人工心臓で一番怖いのは脳梗塞脳出血などの合併症、細菌感染による感染症を発症しやすくなることです。医師や看護師に聞いた所によると、 人工心臓装着後、約2年で約4割がなんらかの合併症を発症、約3年の待機期間までに約2割が合併症、感染症を原因として、命を落とすそうです。じゃあ5年では、どうなるのか...。不安しかありません。脳梗塞などを引き起こす血栓を防ぐため、血をサラサラにする薬を飲んでいますが、それで逆に脳出血が引き起こされるケースもよくあるそうです。もし、それで重篤な障害が脳に残った場合は、心臓移植を受けることすらできなくなります。はっきり言ってそれを考えるとめちゃくちゃ怖いです。自分がこの先どうなるのか全く分からない恐怖はなんと表現したらよいのかわかりません。

 

 それでも今の道は自分が選んだベストな選択だったと思います。後悔はありません。これから退院して、生活に慣れ、できれば仕事を見つけ社会復帰を目指したい。自分勝手過ぎる夢かもしれないけど、結婚して子どもだって欲しい。海外に住みたい夢もまだ諦めたくない。まだまだやりたいこといっぱいある。だから、何があっても絶対に蘇ってみせる。火の鳥のように。

 

 自分にはこの人たちがついているからきっと大丈夫。ありがとう。これからもずっと一緒だ。約束する。

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 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。今回は自分の思いを正直に全てさらけ出しました。家族の大切さまた改めて実感しました。

 今は発熱も収まり、今日は2ヶ月ぶりに自分の足で外を歩きました。外の世界は最高でした。久しぶりに足が心地良く疲れている感覚を味わっています。体調が落ち着いたので、もし病院に遊びに来れる方がおられましたら教えて下さい。いつでもお待ちしてます。

 

 これからもこのブログにて情報発信していきますので、引き続き応援よろしくお願いします。

                                                                                                                                                DK